金子文子@盛岡ルミエール1

17774313295710.jpg 盛岡ルミエールの鑑賞スタンプがいっぱいになったのを使って、これがおそらく盛岡で最後の映画鑑賞か?
ここしばらく、「怒れる女性」について語りたい、と思っていた。きっかけは虎に翼のスピンオフの山田よねだった。さらに言うと、今日の社会運動に怒れる女性は欠かせない存在だと気づかされる。環境運動ではGreta Thumbergが、香港民主化運動では周庭がいなければ、成果はともかく、運動の広がりには絶対的な存在感を放っている(た)と思っている。れいわ新選組も、山本太郎氏療養で、大石あきこ代表に変わり、日本共産党の田村智子氏とともに、日本の非民主化の防御壁としての存在感は大きい。朝ドラに話を戻しても、風、薫るがまさに虎翼と同様、女子の学友の結束によって社会が変わっていく物語に期待している。表面的に言っても、今の自分には、怒れる女性がカッコいい。
うまく言葉にまとまらない、と言うか、そもそも男子の自分は思想を頭でっかちに考えてしまう。女性運動家たちは、それをもっと胆の奥で考えていて、ぶれないし存在感もあって、単に男女不平等でスポットが当たっていなかったに過ぎなかったのだと認識している。
映画に話を戻す。ほぼ主人公の獄中生活が舞台で、大逆罪に至る背景は描かれていない。つまり、主人公が獄中で語る言葉と短歌が、この作品の肝となっている。思想ではなく、社会からつまはじきにされた者の気持ちがいかなるものか、それが彼女の言葉の端々から伝わってくる。
何より、大逆罪みたいな審判が多かった、あの戦前の空気と、それにあらがう人たちの物語は、かなりの確率で、これからの日本に起こりうることで、文子が未成年囚人に語りかけたように、よく考えろ、というのは肝に銘じたい。

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